忘れる事の出来ないあの日・・・・忘れてはならないあの日・・・・出来る事なら時間が戻ってくれたら!と何度思った事か・・・・酷過ぎる!振り返ってはいけない!と皆に笑顔で「前進だよ!」と言いつつ、自分が振り返ってしまう・・・・
兄貴!父さん!そちらの生活はどうですか?子供達(孫)が見えますか?辛くないですか?あの日 あの瞬間、苦し かったでしょうね。後悔したでしょうね。今は、苦しくないですか?ゆっくり休んでください。
月日が過ぎても、外を見た瞬間思う事、「ここまでやるか」と・・・・・
今言えるのは、同じ繰り返ししてはいけない、後世に伝えなければ行けない義務があると思っています。
地震が来たら、高台に逃げる事!津波を甘く見ないで!と
2011.3.11東日本大震災をここに、記録しておきます。
大事な家族を守るために!
平成23年3月11日午後2時46分 宮城県牡鹿半島沖を震源とするマグニチュードM9.0の巨大地震は
津波となって東北地方と関東地方と太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらした。
県内の被害者数 死者数3796人 行方不明者数4721人
田野畑村は死者数14人 行方不明者数39人 (震災後1ヶ月の岩手日報より)
現在は、田野畑村 死者数22人 行方不明者数19人 (震災後4ヶ月)
地震から28分後 波が引いています。
いつもは見えない離岸堤などが見えてきています。
15時14分
第一波がゆっくり来ている。
これも、第一波です。堤防まで波が来ました。その後 又ちょっと引いて行きました。
15時22分
前の波が少し引き始めたら
第2波が弁天島から来た!
15時24分
地震から40分後!!第2波が凄い音を立てて来た。 15時25分
第2波がひらいが海荘の前の島にぶつかり、私達が居る道路まで来そうだったので逃げた。
戻る波と来る波が激しくぶつかり海面が盛り上がってきた。 15時26分
第2波の引き波で堤防が壊れ始めた。
波が引いている所に、第3波が来た。 15時30分
堤防・水門が見えなくなっている
防潮林・孵化場も流されて、奥の道路が見える
一番大きく引いた波 次の来る津波はもっと凄い津波だと思い恐くなり逃げたが、2波より大きくなかった。 15時33分
ひらいが海荘の後ろの山に避難した。
弁天島付近の波が引いている。
15時36分
当日の羅賀荘 3階まで波が来た。
当日の羅賀地区!海荘の裏山を越えて羅賀に来た。
児童館付近。道路に家が流されて来て通れない!
当日の平井賀地区。
当日の上川原地区!
島越地区!田野畑村漁協付近。
川向地区!残ったのは一軒だけ。その下が私の実家。
大須賀地区!残ったのは2軒だけ。三陸鉄道の鉄橋も壊された。
明戸の堤防!
津波は店の前まで来た。
次の日の朝、3月12日!何事も無かったかのような綺麗な日の出でした。海はどろりとした海でしたが、瓦礫は全く無かったです。左側を見たら、何も無い景色を見て やっぱり津波が来たんだと・・・言葉が出ませんでした。。
ひらいが海荘付近です。